サブカルかぶれの備忘録

忘れないためのメモ、気まぐれな日記

ヒトって何がきっかけでどうなるかわからない 〜ファッションメンヘラを経て〜

今でこそ他人とそこそこ(といってもやっと平均並みくらい)会話ができるようになったり、それこそ旅行してみようと思ったりするようになったわけですが、ほんの1~3年くらい前までは所謂メンヘラ(程度で言ったらファッションと言われるのかもしれません。今となっては分かりません。)でしたわたしです。

そこでその当時書いた文章を振り返りつつ、今現在生きづらさを感じている方もまあ何とかなるかもしれない、そんなきっかけは何処か、ほんの些細な所にあるかもしれないよとお伝えしたく。このページを書いた所存。


はい。ではさっそくですが以下当時書いた文章です。



ここ1年くらい思うことがある。

最近どうにも物事が楽しくない。
ってそう書くと精神病に侵されたひとりのような感じだけれど、社会生活において別段困ったことなどないのである。直ぐ眠ることができるのが私の特技のひとつだったりするし。

でも何も楽しくない、そもそも何もする気がおきない、ということは紛れもない事実であって、でもでも何も問題ないならこれは単なる甘えなんじゃないの?って。みんなそういうものでしょう?って。

やらなければならないことは、イコールやりたいことではないんだって、勿論そんなことわかっているんだけど兎にも角にも何もしたくないのである。
積極的に生きる意欲も沸かないなぁ、って。
最近流行りの現代病みたいですね。
悟り世代なんつって。なんだ私特別でありたいような、高尚な気になっていたいような割りにはすごい一般的な人間。社会風刺を語るうえで模範解答な人間…!ってそんな自虐はどうでもいいんですけど。

かといって堕ちるところまでおちる勇気もないのだよね。それに飽きっぽい。
オーバードーズとか、無茶な飲酒とか、自傷とか。
半端に安全な範囲でしかできないし、単に真似しているだけというか。情動的じゃないんだよね。
嗚呼、こういうこというと本当に苦しんでいる人から叩かれそうだ。

結論、すごくサイテーなことを言うと
生きていたくない、でも積極的に死ぬ気もない、たまたまふらぁっと消えちゃいたいなぁ。面倒なこと、大嫌いです。責任ももちたくない。

…でもこれって誰の気持ちなの?本当に私が思っていること?その辺の負の感情をごちゃ混ぜにして、私もそう思っているように錯覚しているんじゃないか、ってわからなくなります。

もう全くの第三者に委ねてしまいたい。
(2016.11.23)


社会生活一般? そのものが、なんか気持ち悪い。
生まれて、学業に励みながら適当に恋して、仕事して、結婚して、子供産んで育てて、老いて死ぬ、っていう一連の流れ。
そういうものだから、人の一生ってそういうものだって決まっているから、やっているのかな。
どうにも私は気持ちが悪くてだめなんだけど理由がわからぬ。いわゆる生理的に受け付けない、ってやつなのか? 人生を生理的に嫌悪してる? …うおっ、いい歳して中二病っぽい。
でも実はみんなそう思っていて、思いながらも暗黙の了解でそのルールに則って生活しているんじゃないかな、って思うんです。というかそうであってほしい。
それならば単に私の我が儘、ということで、その一言で片付くし。
…逆にそうじゃなかったらこわいよね。根本的に生きていることへの考え方や姿勢が違うってことになってしまう。
例えば、どうして彼氏いないの? って訊かれたとき、その言葉の裏に「そういうものなんだからあんたも大人しくルールに従って頑張んなさいよ」といったものがあれば私はすごく納得できる。
ところがこれが全くそんな裏なんてものはなく、さも当然のこと、なのにあなたはどうしてそう思わないのか、なんていった風に問い詰められればちょっと悲しくなってしまう。
考え方がまるっきり違っていて、どこまでいっても交わることがなくって、でもどう考えたって私のほうが劣っている、ってなもので。
仮に大人しく従ったとしよう。
同じ出来事を経験したとき楽しい、幸せだって思うのが当然の状況で私はそう思うことができなくって、でもそうと発信せねばならぬ。ずっと嘘をついていかなければならなくてなんと不誠実なことか。
思ったつもりになっていれば、言葉にしていれば、本当にそう思えるんじゃないかなって思っていたけれど、無理です。無理でした。申し訳ないような気持ちが募るいっぽうでした。せめて申し訳ないって思わなきゃなぁなんて気持ちが募るいっぽうでした。
(2016.11.27)



ん、まあこんなかんじですね。
そういうふうに強く思うようになってしまったきっかけは、主に前の職場があまりにもプライベートに干渉するところだった、というのがひとつ挙げられますが、それ以上に元からの自分の気質が大きいのでしょうね。
今もきっと根本のところでは変わってないかとは思います。

ただ、当時とは違うのは、そうであってもいいんだと思える場所が見つかったこと。これはだいぶ大きかったです。
いよいよ転職を決めて自棄になってひとりで飲みに行ったこと、そこでの交流がきっかけなのですが、これがなければいまだに鬱々とした日々を送っていたことでしょう。みなさまに感謝です。


結論。
ヒトは何がきっかけでメンヘラになるかわからない。また、何がきっかけで前向きになれるかもわからない。もしかしたらまた厭世的になって、この文章見てクソって思う日が来るかもしれない。そのときはそのときです。

いずれは絶対幸せになれるなんて無責任なことは言えません。でも出来れば、もしかしたらまだ自死以外の選択肢があるかもよ?ということを知っておいてほしいです。


以上、かつてのファッションメンヘラより。