サブカルかぶれの備忘録

忘れないためのメモ、気まぐれな日記

日常に潜む下ネタをめっけてほんのちょっと肩の力を抜いて生きるライフハック

本日もお勤めご苦労様です。
いやー、相も変わらず世知辛い世の中ですよねー。
仕事で毎日毎日気を張って疲れちゃってはいませんか。

そんなあなたにひとつ、ライフハックをご提案。

何かと申しますと"日常に潜む下ネタをめっける"こと、です。それはもう宝探しの如く。見つけたらラッキー。

なんだそれ、、って思いましたよね。大丈夫です、それが正常な判断です。
で、ついでにこう思ったはず。ばからしー、あほらしーって。

それでおーけー。ばからしーと思うことをしながら生活すると、ほんのちょっと肩の力が抜けるような気がしませんか。

別にばからしーと思うものは下ネタじゃなくてもいいんだけどね。やっぱ万国共通、老若男女共通だからね。

わたしなんぞは普段仕事しながらふと口に出た言い回しが妙にえっちぃかったりすると、まあ仕事自体はいたって真面目にこなしているわけですから、俯瞰して見てそのギャップにクスッとなる自分がいるわけですが。

例を挙げると、わたしは歯科医院に勤めているのですが、定番の業務として歯磨き指導があるんですね。

説明の仕方でよく言う言い回しが

「もっと奥に(ブラシを)当てて…… 」とか

「歯間ブラシはこすりながら出し入れすると…(なんちゃら)」とか

なんですよね。まあ普通のことなんですけど。

でも真面目にやっていればやっているほど、たまにフッと俯瞰で見ている自分が、
あれ……? 何かこれもしかしてえっちぃぞ……??と言ってくるもので、ちょっとおもしろかったりします。

うん……。決して不純な気持ちで働いているわけではないのですが、なんかすみません…w
でもこういう肩の力の抜き方って大事なのでは、とわたしは思うのです。

仕事に限らず、例えばさっきのだって患者として来院して真面目に指導を受けるも、ん…?さっきの言い方何かえっちぃwって思うのもありだと思いますよ。(あくまでカジュアルによ。ばからしー。)


はい。いかがでしたでしょうか。
結論といたしましては、人生ゆるくいこうぜ(ドラクエっぽくなっちゃった)ってことなんですが、
まあなかなかどうやったらいいかわかんない、難しい。
じゃーその手段として日常に潜んでいる下ネタでもめっけてみれば、ちょっとは肩の力が抜けて楽に生きられるかもねーってことです。


以上。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


PS.三行半(みくだりはん)って三擦り半(みこすりはん)に語感が似ててえっちぃ感じがするので、日常的に使っていきたいのですが、中々使う機会がなく悶々とした日々を送っています。

二重整形の話 〜埋没と切開の比較を簡単に〜

f:id:nekuralice:20190518003125p:plain突然ですがぶっちゃけますと、現在のわたしの二重は整形によるタマモノです。はい。
埋没と切開、両方経験済み。

……ので今回は埋没と切開、両者をざっくり比較でもしようかと思います。


まずは簡単に経緯から。
わたしは幼少から重い瞼の一重で(しかも片側は眼瞼下垂気味)それはもうずっとコンプレックスでした。※画像参照
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初めて整形(埋没のほう)したのは今から約2年前。
このとき切開ではなく埋没にした理由は、
初めての整形、不安だったので失敗してもリスクの少ないほうにしたかったから。あと、ダウンタイムの長さの違い。

因みにどちらも同じ医院でしましたが金額はそこまで変わらなかったです。数万円ほどの違い。まあ埋没のときは脂肪取りもお願いしたから、それでプラス金額かかったってのもあるかも。

それから約1年半後、退職を期に切開へ。
数ヵ月間休もーって思ってたし、だったら今しかないじゃん、って。
退職金は整形代に消えましたが勿論後悔はしていない。むしろかなり有意義に使ったと思っています。



じゃ、比較ね。(当然個人差はあるかと思いますがご了承を)

・ダウンタイム
埋没
2~3日目が腫れのピーク。
1週間後くらいには取り敢えず人前に出られる、がまだ腫れはそこそこ残る。

わたしは年末年始の休みを利用して埋没に挑みました。ちょうど1週間後くらいから仕事始めだったので、指摘されないか不安でしたが取り敢えず何も言われず。(元々常に眼鏡かけてる人なのでバレにくかったのかもしれない)

1ヵ月もすればだいぶ落ち着きます。
2~3ヵ月目はもうほぼほぼ完成形。


切開
2~3日目が腫れのピーク、と思いきや同じくらいの腫れの状態が1週間は続く。二重の幅にもよると思うがわたしは埋没より腫れた。
1週間目の状態では人前にはまだちょっと出られないかな。まだメイクもできないし。(仕事辞めてからにしてホントよかったって思った、、)

1週間後、抜糸。
抜糸後一時的にまたちょっと腫れる。

1ヵ月後、まだ腫れは残る、が、やっとメイクすれば気にならない程度まで落ち着くので、人前には出られる頃。これでほぼ完成なのかな…?と不安になってくると思うが、まだまだこれからなので心配無用。
3ヵ月後にはほぼ完成形に。


・痛み
施術中は麻酔かかってるので両者あまり変わらず、どちらもそんなに痛くない。我慢できる程度。

強いて痛かったポイントを挙げるなら…

埋没
・眼球と上瞼の間に金属のプレートを差し込まれるとき。(埋没は何かこの状態で施術されます。切開のときはこれやらないです。)
痛いというか単純にこわかった…。
・電気メス(だと思う、におい的に)で脂肪取ってるとき。圧迫間のある痛みがある。

切開
・縫合時。目頭に近いほうを縫うとき地味に痛い。。

施術後は、切開のほうが若干痛みが続くかな(2~3日くらい)っていうくらいで、痛みの程度は埋没も切開もあまり変わらない。
当日も飲酒しちゃったけど(なるべく控えましょう)、それで痛みが強くなったり、というのはなかったです。

・施術後の心境
埋没
やっとアイプチから卒業できる…!
というプラス面がまあまず大きい。
が、一方でいつまでもつかな、朝起きて取れてたらどうしよう、といった不安が常にありました。
まず恐くて目をこすれない。うっかりこすってしまったときはめちゃ不安になります。あと洗顔のときも恐い。

切開
取れる、という心配が解消されました。これはわたしにとって何よりすごく大きいポイントです。夢で埋没二重が取れてしまうのをたびたびみましたから……。
埋没のときより二重の幅を少し広くしてもらったのもあり、さらにメイクが楽しくなりました。思いきってよかった。



最後に、あまり当時の写真撮ってなかったんですが、以下ある分載っけます。

切開前日(埋没から約1年半後)
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切開直後
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切開翌日
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現在(切開から半年〜1年後、メイクあり)
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現在(上記に同じ、メイクなし)
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以上です。
ありがとうございました。

ヒトって何がきっかけでどうなるかわからない 〜ファッションメンヘラを経て〜

今でこそ他人とそこそこ(といってもやっと平均並みくらい)会話ができるようになったり、それこそ旅行してみようと思ったりするようになったわけですが、ほんの1~3年くらい前までは所謂メンヘラ(程度で言ったらファッションと言われるのかもしれません。今となっては分かりません。)でしたわたしです。

そこでその当時書いた文章を振り返りつつ、今現在生きづらさを感じている方もまあ何とかなるかもしれない、そんなきっかけは何処か、ほんの些細な所にあるかもしれないよとお伝えしたく。このページを書いた所存。


はい。ではさっそくですが以下当時書いた文章です。



ここ1年くらい思うことがある。

最近どうにも物事が楽しくない。
ってそう書くと精神病に侵されたひとりのような感じだけれど、社会生活において別段困ったことなどないのである。直ぐ眠ることができるのが私の特技のひとつだったりするし。

でも何も楽しくない、そもそも何もする気がおきない、ということは紛れもない事実であって、でもでも何も問題ないならこれは単なる甘えなんじゃないの?って。みんなそういうものでしょう?って。

やらなければならないことは、イコールやりたいことではないんだって、勿論そんなことわかっているんだけど兎にも角にも何もしたくないのである。
積極的に生きる意欲も沸かないなぁ、って。
最近流行りの現代病みたいですね。
悟り世代なんつって。なんだ私特別でありたいような、高尚な気になっていたいような割りにはすごい一般的な人間。社会風刺を語るうえで模範解答な人間…!ってそんな自虐はどうでもいいんですけど。

かといって堕ちるところまでおちる勇気もないのだよね。それに飽きっぽい。
オーバードーズとか、無茶な飲酒とか、自傷とか。
半端に安全な範囲でしかできないし、単に真似しているだけというか。情動的じゃないんだよね。
嗚呼、こういうこというと本当に苦しんでいる人から叩かれそうだ。

結論、すごくサイテーなことを言うと
生きていたくない、でも積極的に死ぬ気もない、たまたまふらぁっと消えちゃいたいなぁ。面倒なこと、大嫌いです。責任ももちたくない。

…でもこれって誰の気持ちなの?本当に私が思っていること?その辺の負の感情をごちゃ混ぜにして、私もそう思っているように錯覚しているんじゃないか、ってわからなくなります。

もう全くの第三者に委ねてしまいたい。
(2016.11.23)


社会生活一般? そのものが、なんか気持ち悪い。
生まれて、学業に励みながら適当に恋して、仕事して、結婚して、子供産んで育てて、老いて死ぬ、っていう一連の流れ。
そういうものだから、人の一生ってそういうものだって決まっているから、やっているのかな。
どうにも私は気持ちが悪くてだめなんだけど理由がわからぬ。いわゆる生理的に受け付けない、ってやつなのか? 人生を生理的に嫌悪してる? …うおっ、いい歳して中二病っぽい。
でも実はみんなそう思っていて、思いながらも暗黙の了解でそのルールに則って生活しているんじゃないかな、って思うんです。というかそうであってほしい。
それならば単に私の我が儘、ということで、その一言で片付くし。
…逆にそうじゃなかったらこわいよね。根本的に生きていることへの考え方や姿勢が違うってことになってしまう。
例えば、どうして彼氏いないの? って訊かれたとき、その言葉の裏に「そういうものなんだからあんたも大人しくルールに従って頑張んなさいよ」といったものがあれば私はすごく納得できる。
ところがこれが全くそんな裏なんてものはなく、さも当然のこと、なのにあなたはどうしてそう思わないのか、なんていった風に問い詰められればちょっと悲しくなってしまう。
考え方がまるっきり違っていて、どこまでいっても交わることがなくって、でもどう考えたって私のほうが劣っている、ってなもので。
仮に大人しく従ったとしよう。
同じ出来事を経験したとき楽しい、幸せだって思うのが当然の状況で私はそう思うことができなくって、でもそうと発信せねばならぬ。ずっと嘘をついていかなければならなくてなんと不誠実なことか。
思ったつもりになっていれば、言葉にしていれば、本当にそう思えるんじゃないかなって思っていたけれど、無理です。無理でした。申し訳ないような気持ちが募るいっぽうでした。せめて申し訳ないって思わなきゃなぁなんて気持ちが募るいっぽうでした。
(2016.11.27)



ん、まあこんなかんじですね。
そういうふうに強く思うようになってしまったきっかけは、主に前の職場があまりにもプライベートに干渉するところだった、というのがひとつ挙げられますが、それ以上に元からの自分の気質が大きいのでしょうね。
今もきっと根本のところでは変わってないかとは思います。

ただ、当時とは違うのは、そうであってもいいんだと思える場所が見つかったこと。これはだいぶ大きかったです。
いよいよ転職を決めて自棄になってひとりで飲みに行ったこと、そこでの交流がきっかけなのですが、これがなければいまだに鬱々とした日々を送っていたことでしょう。みなさまに感謝です。


結論。
ヒトは何がきっかけでメンヘラになるかわからない。また、何がきっかけで前向きになれるかもわからない。もしかしたらまた厭世的になって、この文章見てクソって思う日が来るかもしれない。そのときはそのときです。

いずれは絶対幸せになれるなんて無責任なことは言えません。でも出来れば、もしかしたらまだ自死以外の選択肢があるかもよ?ということを知っておいてほしいです。


以上、かつてのファッションメンヘラより。

曲を聞くようになったきっかけと変遷

今回はわたしの音楽の好みの変遷について書きたいと思います。まあ他人のそんな話聞かされても全くおもしろくはないかと思いますが…
タイトル通りこれは"備忘録"ですので自分の為でもありますので悪しからず。(そして特にオチもない。)


まずは音楽を聞くようになったきっかけから。

以前も書いたように、わたしは小〜中学校辺りまではあまり音楽に興味はありませんでした。
聞いて精々当時見ていたアニメの主題歌(NARUTOハガレンBLEACHBLOOD+ …etc)
あとは母親がたまに東京事変をかけていたのでそれを聞くくらい。

中学校3年辺りにDSiを持ち始めました。
あれは今となっては当然のこと、しかし当時では斬新なネットに繋げられる小型ゲーム機、でしたよね。そのシステムを使ったDSiで一番ハマった機能は"うごメモ"です。(パラパラ漫画の要領で簡単に手書きの動画が作れて、またネット環境により投稿・閲覧ができる)

最初は普通に好きなアニメとかゲーム名で検索をかけていました。(あの頃は、んー、ひぐらしのなく頃にとかが好きだったかな)

あとは初音ミク(ボカロ)も全盛期でしたよね。(人によって"全盛期"の認識が違うかもしれない)
何処かの学校の卒業式で桜ノ雨を歌ったとかでニュースになっていたのを見て、ミクの存在は知っていましたが実際に曲を聞いたことはありませんでした。この頃は調べるほどの興味もまだそこまでなかったです。

でも全盛期所以(?)うごメモにはあったのです。初音ミク関連のたくさんの動画が。
で、あれってほんとうに手軽に見られるので(当時当然ケータイは持っておらずネットが使えるのはパソコンのみ。でもわたしの物ではないし、使うのが少し億劫だった為。DSiはわたしにとって今のスマホくらい一番手軽に使えるネット機器だった)見てみたんですね。

そうしたら、え…これ好き、、って感じの曲で、見事簡単にボカロにハマりました 笑
(因みにそのとき使用されていた曲はハチさんの"Mrs.Pumpkinの滑稽な夢")

そこからはズルズルと高校半ばくらいまでボカロをあさって聞いていました。

それとは別のところ、
まずはボカロにより"音楽を聞く"ということの抵抗が無くなった辺りに、ローゼンメイデンというアニメを知りました。そのアニメのop曲はALI PROJECTの"聖少女領域"という曲だったのですが、雰囲気がとても好きだったので、他のアリプロの曲ももっと聞いてみたい…!という気持ちになりました。

なので高校1~2年頃はボカロと平行してアリプロを良く聞いておりました。

そのうちに「アリプロを聞いている人は他にどんな曲を聞くのだろう…?」と思い始め、ネットで調べてみました。
そのなかで気になった曲を聞いてみて、次に好きになったアーティストは"電気式華憐音楽集団"(通称"デンカレ")です。

簡単にどんなアーティストなのか説明すると、まずボーカルは女性です。そして曲調はハードロック〜メタル。
BlackCycという主に凌辱系を扱うアダルトゲームメーカーの、ゲームの主題歌を歌うことが多く、その為、曲の雰囲気も激しい中にリョナ的なフェチを感じるものが多くあるように感じます。デンカレ、良いです。(そのせいで(?)エロゲというものの存在を詳しく知ることとなる…笑)

Youtubeだと関連動画が出てきますよね。それで次に聞いたのはニトロプラス(こちらもアダルトゲー 略)関連の曲。そに子ちゃん(第一宇宙速度)も好きです。

エロゲの曲って良い曲多いなーって素直に思った。

そこで今度は最初から"エロゲソング"に絞って調べてみることにしたんですよ。そうしたらお電波な曲とか萌えソンとかそんなのがいっぱい。
でもわたしこれもずばりハマりまして。

ふぃぎゅあっととか巫女みこナースとかね。
いちばん好きなのはジブリールの主題歌かな。あれはシリーズ全部良い、、


そんなこんなでだいぶ聞くジャンルの幅が広がっていきました。

その後は深夜の音楽番組で偶然流れた「蝋人形の舘」で聖飢魔IIに興味を持ったり、

母親に何度か勧められた筋肉少女帯が、高校2~3年になってはじめて好きになったり、

戸川純だったり、P-modelだったり、ヒカシューだったり、人間椅子だったり、、、(なんというか若い子がこのラインナップをつらつらと挙げると正にサブカルかぶれという感じが……。)





はい。
長くなったのでオチは特にないがここで結論です。
曲を聞くことは楽しいです。これしか聞かない!と決め込まず固定観念は棄て、色んな曲を聞いていこう。(と、思います。)

二階堂奥歯さんの文章が堪らなく好きという話

f:id:nekuralice:20190509203949j:plain久しぶりに二階堂奥歯さんの日記ブログ「八本脚の蝶」を読んだのですが、毎度のことながら、その文章のうつくしさ、儚さ、氏の圧倒的な知識量に驚かされました。
恐らく彼女は非常に聡明で、また美にも関心が高く、才色兼備な女性であったのでしょう。

そんな彼女ですが、25歳という若さで自殺により生涯に幕を閉じました。

氏は常に内の自分と対話し内面に世界を創っていくような人物だったのでしょう。或いは生涯を通じて「二階堂奥歯」という物語りを創造しているような感じ。
自殺を肯定するつもりはありませんが、その結末も含めて彼女の物語りはとてもうつくしい。
(ただ、25歳で既にこれほどの感性を持っていた方の、その後の人生の歩み方が見られない点は悔やまれますが……)

彼女は相当な読書家であったようです。ブログには膨大な量の本のタイトル、引用が出てきます。ほんとうにすごい。
そしてなにより乙女です。

例えば、最初のほうの日記はこのような感じ。



朝山蜻一「白昼艶夢」を読んで影響され、クローゼットからコルセットを引っ張り出す。

ちなみにこの話はたおやかに括れた女体を求める恋人のために、食も取らずにコルセットをきつくきつく締め上げてついには死んでしまう女の話。

コルセットだけでなくて、私のクローゼットには乙女の装備品が様々入っています。
イヴニングドレスに、床に引きずる白いヴェルヴェットのマント、革でできた上品な仮面、その他もろもろ。
使うあてはなくても買う! それが物欲に生きる者の嗜みなのです。
何時なんどき仮面舞踏会への招待状が来ても対応可。こうでないといけません。

ちなみに玄関にはちゃんと非常袋も用意してあります。

非常袋は市民の心得。コルセットは乙女の心意気。
以上。

(2001年6月14日の日記より)


このように彼女の物語りは綴られていきます。
そして読み進めていくと彼女は読書だけでなく化粧品や香水、人形やアニメにも興味があることがわかります。しかしとにかく文章が綺麗で全く俗っぽさを感じさせない。

後半は精神的に不安定になってきたせいでしょうか、本の引用ばかりの日記が増えていきます。この辺りは見ていて非常につらい。

そんななか自身の言葉として綴った文章として印象に残っているのはこの部分。


ごしゅじんさまだいぼしゅう!》
二階堂奥歯の条件
・お金はいりません。衣食住と、愛情表現と、肯定をください。
・お風呂には一日二回入ります。
・活動的な種ではないので、部屋飼いで充分です。
・室内ではパジャマなどを着せてください。とても寒がりなのではだかは無理です。お洋服が好きなので、お外に出るときはおしゃれをさせていただけるとうれしいです。すきなブランドは VIVIENNE TAMと MORGANです。
・化粧品は AYURAで一揃いそろえていただければ大丈夫です。
・病弱ですが持病はありません。よく高熱を出して寝込みます。精神的に非常に脆弱です。

(以下原文はその後も文章が続いております)


この部分が何とも言えない。
兎にも角にも物語りを愛し、自身もそれに引き込まれていった人物であることがわかります。

彼女の引用する書籍の文章は難しいものが多く、従ってわたしはまだまだ彼女の思考を掴みきれてはいないのでしょう。彼女は憧れの人物のひとりですので、今後少しでも近付くことができればいいなあと思います。



以上、ここまで彼女とその文章の魅力について記してみましたが、わたしの拙い言葉では全く伝えきれませんので、興味を持った方は実際にぜひ一度サイトのほうに目を通してみてください。
(但し引き摺られ過ぎない程度に)


二階堂奥歯"八本脚の蝶"へのリンク
http://oquba.world.coocan.jp/month/oquba200106.html

お洒落に無頓着だったわたしがゴシックロリィタを着るに至った経緯とこれからデビューする方へ

突然ですがみなさん
お洒落することは好きですか?
わたしは大好きです

化粧がうまくいった日
お気に入りのお洋服を着たとき
良いコーディネートが思い付いたとき…etc
とてもうれしい気持ちになりますし
何よりお洒落をすることで、こころの防御力が上がる! (…ような気がする)

そんなわたしですが
むかしはお洒落に対して無頓着でした、、

特にコーディネートすることが苦手で
何を着たらいいのか全くわからない、
でもダサいかっこうはしたくない……

で、
お恥ずかしながら高校1年生くらいまで毎回母親にコーディネートしてもらっていました(ホントです)

ただ、いずれはひとりになるわけですし…
どうすればいいのかと日々思っておりました

かといってファッション雑誌を買ってみたり、
ということはしませんでした

というのも美容室に行くと置いてあるじゃないですか、ファッション雑誌
わたしは美容室には小説を持参するようなタイプだったんですが
カバンを預けるときに本を出すタイミングを逃し、仕方なく置いてある雑誌を読むしかない
ということが何度かあり
読んでみるのですが
なんだかピンとこない
服に興味が薄いというのももちろんなんですが
思春期特有の自意識でしょうか
自分の気持ち的にこんなキラキラした服は着られない、合わない、、
そう思っておりまして

当時はまだ"リア充"という言葉はありませんでしたが
例えるなら雑誌の世界は"リア充"
対するわたしは"陰キャ"
休み時間を読書か寝たふりでやり過ごすようなコでしたので
こんなにキラキラした服を見せられても
「これじゃないんだよー! 」
と、変なプライドで対抗することしかできず
全く参考にする、ということができずにいました

そんな高校1年生のある日
下妻物語」という、嶽本野ばらさんの小説を原作としたロリィタの女の子が主人公の映画を見まして(母親がレンタルしてきました)
こんなお洒落のカタチもあるのかと衝撃を受けました

それと、この頃から深夜アニメというものに興味を持ち始め
なんとなく見たローゼンメイデンのOP
ALI PROJECT宝野アリカさんが歌う「聖少女領域」を聞きまして
この雰囲気がなんともまあ当時のわたしにはどつぼだった…!

これまで音楽もあまり聞いたことがなかったのですが(洋服と同じように流行りの曲を聞いても"コレジャナイ"感があり、苦手だった)

見事に世界観にはまりまして(その後の音楽の好みの変遷についてはまた改めて文章に残したいと思います)
アリプロのなかでも特にゴシックな雰囲気の通称"黒アリ"が好きで
聞いているうちに
自分も同じような雰囲気の格好をしたい…!
と自然に思い始めるようになりました

それとなく母親に伝えてみたところ
母親もそういう服装、個性的なもの、デザイナーズもの等好きだということがわかり(以前から勧めてはいたらしいが、まだ興味がなかったためかあまり覚えていない)
ゴシックロリィタのファッション雑誌である
"ゴシックロリータバイブル"を買ってもらい
実際にそういった専門のメゾンがあるということを初めて知ることとなりました

しかしそこは高校生(しかも田舎の)
所持金なんてそんなに持っているわけもなく
取り敢えず古着でなんとなくゴシック?パンク?っぽい雰囲気にしてみたり
axesでロリータ?ぽくしてみたり(axesがだめとは言わないがここのお店で全身コーディネートして"はい、ロリータです"と言うのは違う)
というのが1年くらい続き
いよいよちゃんとしたメゾンの服が着てみたい!
という気持ちになり
ネットで購入
初めて手にしたお洋服はATELIER-PIERROTの真っ黒なコルセットスカートだったかと思います

当時、ブラウスはまだaxesのものしか持っておりませんでしたが
上下で合わせてみて、今までよりはしっかりとゴシックロリィタを着られている!という感覚があり、とてもうれしかったのを覚えています
(後述しますがメイクに関しての知識はまだ乏しく、従ってまだまだ所謂"イタいゴスロリ"だったわけですが…)

その後も少しずつ専門の古着のサイトを活用するなどして服を増やしていったり
ちょっとずつメイクにも挑戦してみたりしていきました

そうして時は経て専門学校時代、お友達と東京に遊びに行くことになりました

憧れのゴシックロリィタのお店に行ける…!
そう思い、
普段は眼鏡なのですが
コンタクトに変え(ロリータに眼鏡はタブーだと言われているため。今は合っていれば良いんじゃないかなと個人的には思う。大きいメタルフレームの丸眼鏡とか)
当時は一重だったのでアイプチで重い目蓋を上げ
当然メイクもし
一張羅で
これでバッチリ! と
意気揚々とお店に(というよりフロアに)足を踏み入れたわけですが

当然周りもゴシックロリィタ
店員さんもゴシックロリィタ
周囲の方々のなんとカンペキたるや
滅茶苦茶カワイイ…
これがホンモノか…と、
思ったのと同時に
自分の中途半端さに恥ずかしくなりました

それにより、もっとメイクが上手くなって可愛くなりたい! 上手に着こなしたい!
という意欲が高まりました


そのような経緯を経て、現在に至るわけですが
まだまだメイクも上手いわけではありません
理想の格好をするためには体型ももう少し絞らなければならないでしょう
ですがゴシックロリィタの世界を知ることで
お洒落に対し興味を持つこと、向上心を持つことができるようになりました
そして何より楽しい…!

このようなジャンルのお洋服はどうしても年齢に左右されるので
いずれは着られなくなるでしょう(周りの目、というより自分で合わなくなってきた、と感じる時期がくるのではないでしょうか)
しかし、いつまでもお洒落に対する意欲は忘れずに、着たい服を格好よく着こなす女性でありたいと、そう思います


ここからは
今後ゴシックロリィタを着てみたい、デビューしたいという方に向けてなのですが

ゴシックロリィタをネットで調べると
難しい精神論とかでてきますよね
もちろんそれも素敵なのですが
(みんながみんな)そこまで堅苦しく考えなくてもいいんじゃないかな? と、わたしは思います

ただ、最低限のマナーは守ってほしいです
どうしても目立つ格好なので、何かあると余計に悪目立ちしやすいですし
それと決してコスプレ感覚で着ないこと、混同しないこと
あと、ゴシックロリィタに限らずお洒落に於いて清潔感は大事!

これさえ守っておけば徐々に似合うようになってくる、はず…! (偉そうに言ってますけどわたしもまだまだです。。これは自戒の念も込めて)


これからも日々勉強、模索しつつ…

みなさま良きゴシックロリィタライフを♪

はじめてのひとり旅 〜2日目〜

2日目
朝7時頃起床
そこからあれこれ準備し
8時過ぎに出発!

名残惜しくも熱海に別れを告げ
電車で東京へ向かいました
(時間がもっとあったら伊豆方面も行きたかったなー)

11時頃東京へ到着
まずは中野ブロードウェイに行ってみました

中野駅からブロードウェイに向かう通りのアーケード
めっちゃ人いました
地元のアーケードとは大違い…
(あれはあれで好きだけど)

さて
中野ブロードウェイの田舎者的な感想は
"建物ぜんぶまるごとヴィレヴァン…!! "
て感じでしょうか

ぐるーっとまわって
結局タコシェにしか入りませんでしたが
雰囲気そんな感じ

その後は
新宿のクローゼットチャイルド
(ロリィタやゴシックなどを専門に扱った古着屋さん)
に行きました

んー、ここは場所が非常にわかりづらかったですね…

駅からの行き方を詳細に記しているサイトがあったのですが
それがなければ辿り着けていなかったことでしょう

見知らぬサイト主さんに感謝です

続いて秋葉原
ラジオ会館が目的地です

わたしはドールを3体所持しているのですが
その中のSDサイズの子の現在のおめめが…
おめめの虹彩が少々小さく
なんだか可愛さに欠ける、、

というわけで良いカンジのおめめを探しに向かいました

いっぱいドール見られて楽しかったのと
わたしはやはり海外ドールのほうが好きだなぁというのを改めて思ったりしつつ

おめめ購入
目的達成です


次は神谷バーに向かおうと
浅草行きの切符を買おうとしたのですが

東京メトロ日比谷線というのは
また乗り場の駅が違うのですね
(田舎者なのでふつーに秋葉原駅から行けるものだと思ってた、直前で気付いてよかった、、あぶなかった、、)


そこで一旦外に出て
日比谷線の乗り場を隅のほうでスマホで調べていたところ

突然、
NARUTOの暁の羽織を着た男性が

"天照!!" って

わたしに向かって
術仕掛けてきて
めちゃビビったよ

韓国のゆーちゅーばー
だったらしい

スルーしちゃったから
もうワンテイクお願いされたんだけど
そこはシラフ陰キャ
ただただ笑ってあげることしかできなかったよ

悪いことしちゃってごめんなさいw


そんなこんなもありつつ
無事神谷バーへ到着
明治13年創業の歴史ある日本初のバー

酒好きとしては
ぜひ行かねば…!!
ってことで

とてもローカルな、
同郷の方しか分からない例え方をすると

地元にマルカンデパートっていう古い建物があるんですが
そこのレストランの雰囲気をもっとお洒落にしたようなレトロ感
店員さんも同じように昔のレストランっぽい
メイドのような?ウェイトレスのような?服をお召しになっていました

ここは相席が基本のお店らしく(1階は)
おそるおそるたまたま空いていた席の隣の方に声をかけなんとか席を確保…!

同席になった方々に
わたしがひとりで東北のほうから旅行に来ていること、
昨日は熱海を観光してきたことを告げると

皆さまいろいろ聞いてきてくださり
すぐに打ち解けることができました

こういう場って
ほんと大好き…!!

嗜む程度のお酒のみで
ほんとよかった…!!


ほんとうはこの後水タバコ吸いに行ってみようと思っていたんですが
同席したご夫婦が
やめときなさい、って
そう言われてしまって
なんか流れで一緒にはしご酒することにw

銀座ライオンとか地ビールのお店とか
連れてっていただき、
びーるをたくさん飲みましたw

東京駅までお見送りしてくださり

お別れするとき
なんかちょっと泣きそうになった
こんな感覚
初めてでした


23時発のバスに乗り
朝8時頃盛岡到着!


2日間を総評して
とても良い経験ができたし
楽しかったです
ひとり旅、やってみるべきだと思います
スマホの充電さえ絶やさなければ電車初心者、方向音痴でもなんとかなります
てか、なりました

良いひとり旅デビューができて
よかったです



以上