サブカルかぶれの備忘録

忘れないためのメモ、気まぐれな日記

愛猫(トト)とお別れした日

愛猫が亡くなった。
わたしが小学6年生の頃から約15年間共に過ごした猫だった。名前はトト。一人っ子のわたし、或いは母親にとってはわたしの弟のような位置付けであった。

トトはとても良い子でとても可愛い子だった。
小顔の割りに、かなり図体が大きかったけれど。最高体重は8㎏くらいだったと思う。晩年はその半分くらいになっていたが。

出会いは小学6年生の秋、10月。
その日はマラソン大会の日だった。わたしは運動がてんでダメで、その日も当然ながらビリっけつでゴール。呼吸を整えながら列に並んで座っていると、隣の列(つまり他の学年の遅れてゴールした子たち)からこんな会話が聞こえた。

"ねえ、学校の裏門の辺りに猫が捨てられてたよね"

それを聞いてなんとなくわたしは帰りに見に行ってみようと思った。友だちを誘って見に行ってみると、そこにはダンボールに捨てられた子猫が3匹いたのだった。恐らくまだ生後1月に満たないであろう子猫たちはダンボールの中でみーみーと泣いていた。
わたしたちの他にも既に児童が何人か野次馬に来ており、そこでこの猫をどうするか、誰か連れて帰ることのできる人はいるか、という話になった。

わたしの住まいはアパートで、本来ならばあまり動物を飼ってはいけない環境(しかし、アパートが古いのと大家さんが寛大?なためか、特に注意されることもなく犬を飼っているご家庭もあったが)だったため、とても迷ったが1匹連れて帰ることにしたのである。それがトトだ。
なぜそう判断したかというと、連れて帰っても両親に怒られない、返してきなさいと言われない、そういった自信があったからだ。母が猫(に限らずだが)が好きだというのも勿論あったが、もっと確信的だったのはこの出来事の1週間くらい前のこんな会話だ。

どうやら父親が職場の近くで捨て猫を見かけたらしいのだという。それを聞いた母親は、連れて帰ってくればよかったのに〜、と言った。恐らく半分冗談だったのだと思うが、わたしは馬鹿正直にそれを素直に受け取った。つまりはそういうことだ。捨て猫を拾ってきてもきっとなんとかしてくれるだろうと、当時のわたしは考えた。

そうしてひとり一匹、ちょうど3人の引き取り手が決まった。ところでこの3匹を、誰がどの子を連れて帰るかをどうやって決めたかだけれど、簡単に言えば"早い者勝ち"のような感じだった。
のろまなわたしは最後に余った子になったわけだが、今になって思うとほんとうにこの子で、トトでよかったなーと思う。先に記した通り、トトはとても可愛いし頭が良いし、なりよりとても良い子だった。当の本人(本猫?)はどう思っているか知る由もないが、わたしは家に来てくれてほんとうにありがとうと思っている。

閑話休題、トトという名前は母親が名付けた。オズの魔法使いの主人公ドロシーが飼っている犬の名前からとったそうだ。なんで犬の名前なの?って今でも疑問です。

ちょっと肥満気味なところもあったが、ほぼ箱入りだったこともあり、特に怪我や病気等することもなく元気に過ごしていた、
ように思われていたが、15年目のある日、定期的な予防注射のため病院に行ったことをきっかけにある病気が発見された。
白血病だ。体重が昨年に比べ減っているとのことで、糖尿病の疑いで血液検査をしようということになり、そこで見つかった。
猫の白血病は猫同士のケンカ等でうつるそうだが、家の猫は誰かが見ている間にしか外に出すということはなく、ほぼ箱入り状態で、なのにどうして、と思った。病院の先生曰く、母親が白血病を持っており、生まれてきた段階で既にキャリアとして持っていたのだろう、老化に伴い今になって発症したのだろう、とのことだった。病院に連れていった父から間接的にそう聞いた。

確かに嘔吐の回数は増えていたし、食も細くなっていたが、まだまだ元気なように見えていたし、いなくなるなんていうのはまだまだだ先だろうと当然のように思っていた。

しかし、生き物というは当たり前にいつか終わりが来るものであり、それが今日だった。
亡くなる4日くらい前から急にご飯やお水が摂れなくなり、トイレもしなくなった。
本来ならばここで病院につれて行くべきだったのだろう。しかしトトは非常に車での移動や病院が苦手で、車に乗っている最中はずっと鳴いているような子だったため、検診等元気なときに行くのならばともかく、このように衰弱した状態で連れていくのはどうなのだろう…、強いストレスを与えてしまうのではないか、と考え、もともと処方されていた薬を与える以外のことは極力せず(母親が、ご飯や水をスプーンやシリンジを使って与えるくらい)家でこのまま見守ることとなった。
この頃になり、ああ、この子の命はもうそう長くないのだろうなと感じるようになった。

亡くなった当日、トトはわたしの布団の中にいた。前日夜にわたしが布団の中に入れていたからである。もう自力で歩くことも出来なかったため、ヒーターが止まったあと寒くなるだろうな、と思い布団に連れて行き一緒に寝ることにしたのだった。
夜中に何度かえづくような仕草をしていたが、もう吐くこともできなくなっていた。
腎臓に障害が起き、排尿ができなくなると尿毒症という症状になり、毒素が全身にまわることで吐き気が生じるそうだ。これはインターネットで調べて得た知識だった。わたしにはもうただ調べることしかできなかったのである。もっとも今さら調べたところで、病院に連れていくという選択肢が消えた段階で、何もすることはできないと分かっていたのだが。
いまこの子は強い吐き気等様々な症状と戦っているのだと思うと、お別れするのは寂しいけれど一方でどうか早く苦しまず楽になってほしい、という気持ちにもなった。でももうほんとうにいなくなるんだと思うと涙が溢れてきた。起きたらもういなくなっているんじゃないか、そう思いながら眠った。

翌朝トトはまだ呼吸をしていた。しかしその呼吸は今までに見たことのないくらい浅いもので、撫でたりしても少しも動かないようすだったので、わたしが仕事から帰ってくるまできっともたないだろうとそう感じた。
その予感は当たり、恐らくお昼頃亡くなったのだろうということを母親からのメールで知った。
母親は偶然にもこの日お休みだったため家にいた。それは少し救いだったんじゃないかなぁと個人的には思う。母親は、家にいたのに死に目に合うことができなかったと悔やんでいたが、ただ家に誰かがいただけでも良かった、とわたしは思った。何かひとりで死ぬのは寂しいなと勝手に思っていた。

帰宅して、亡骸を見たとき一気に涙が溢れてきた。ほんとうにきれいで安らかで、ただ寝ているだけなんじゃないかと思わせるような顔だった。

猫は死ぬとき苦しいのだろうか、どうなのだろうと最近調べたことがあった。苦しいと嫌だな、というのも勿論そうだが、それ以上に、もし死に目に合ったとき、何も知らずに苦しそうな鳴き声や痙攣しているようすを見てしまったらきっと耐えられないだろうから、調べておくことで、知って心構えをしておこうと思ったのである。
やはり猫によっては死ぬ間際に苦しそうな鳴き声をしたという子もいるようであったが、トトのこの表情をみると、実際のところは全く分からないが、少なくとものたうちまわるような激しい苦しみはなかったのかな、とそう感じた。そうだったらいいなと切に思います。

今これを記しているのは、全く実感がわかず、しかしとても悲しいという気持ちがあるため、丁寧に心の整理をしようと思ったからだ。

色々あの時こうしておけば、もっとこうしておけば、というのはたくさんあるが後悔したところでどうにもならないので、いっぱい思い出をありがとうという感謝の気持ちのほうを大切にしたいと思う。たぶんまだその辺に概念が漂ってるんじゃないかと思って。でも、今日だけは無理なんで泣かせてください。だけどこれからは強く生きられそうです。頑張ります。




ほんとうに15年間ありがとう

お疲れさま

大好きだよ

またいつか会える日までばいばい。

日記 おら東京さいくだ〜サディスティックサーカス編〜

続き
サディスカについての感想。

サディスティックサーカスについて、どんなイベントなのか説明するのはちょっと難しい。
簡単にいうと、アンダーグラウンドなショー?おとなのサーカス?見世物小屋?そんなところでしょうか。
実際に観てきたわたしもよくわかりません。とにかく演目がカオスなので……笑

まずはフラフープを使ったパフォーマンスの方から始まり、綺麗だなーと思っていた矢先に流血必至の吊りパフォーマンス(ボディサスペンション)があったり、女子プロがあったり…、ほんとカオスで非日常的な空間と時間でした。

とても内容が濃く、一つ一つの演目について書くのはちょっと大変なので、特に印象深かった、ボディサス等を行う過激なパフォーマンス集団、ペインソリューションさんに焦点を当ててお話させていただきたいと思います。

そもそも前から一番興味があったのはボディサスペンションというパフォーマンスでした。これが目的でサディスカに行ったと言っても過言ではない。

ボディサスペンションという言葉を初めて知ったのは数年前に読んだ変ゼミという漫画から。で、これは何だ?と思って調べたら、人がフックで吊られるって、、???でしたね。だって絶対痛いじゃん。

だからきっと何かカラクリでもあるのかなって。進行形でフックぶっ刺すんじゃなく、事前に身体にフック通す用の穴開けてあるとかね。(それにしたって痛いとは思いますが 苦笑)

結果、うん、進行形でぶっ刺しますっけね。フック。
その前の演目の方々は、拡張したピアス穴(耳とか乳首とか)にバールを通して、そこに重い物吊り下げたりしてたんで、
あ、じゃあボディサスもきっとそうだ、今この瞬間にぶっ刺すわけないよね〜〜って思いかけたんですけど
やっぱちゃいましたねー 笑

でもね、あまりにもするすると簡単に刺すものだから、ひょっとしたら痛くないんじゃないかと錯覚しかけました。ただまあこれは確実に120%くらいただの錯覚でしょう。

痛さだけではなく、しっかりパフォーマンスとして魅せるプロの集団だということがわかります。

あと個人的に面白かったのは、この演目の際にしっかりキャラ設定があったところ。
この方々は今回4人でパフォーマンスを行っていたのですが(あ、因みに日本人じゃないです)
その中で女性のパフォーマーさんのキャラ設定がとても良かったと思う。一言で言えば美をとことん追求していった結果、過激に狂った方向に進んでしまった、というキャラクターでした。

ありがちだけどね、でもやっぱこういう王道の狂い方っていいですよね。

全身タトゥー、坊主、派手なメイクにフリフリの衣装という出で立ちで、化粧品boxを持ち歩いているんですけど、
ソロのパフォーマンスではその化粧品boxから金属の輪っかとフリフリの装飾を取り出して、自分の腕に輪を直接ぶっ刺し、フリフリを繋げ、やっと満足したのか嬉しそうに踊り出す、っていうw

オタクだからこういうキャラ設定めちゃくちゃ好きです、良いと思う。
因みにくっつけたフリフリ装飾に関しては、西城秀樹のあの衣装を思い浮かべてもらうと分かりやすいと思う。
あのフリフリが腕に直接くっついているんです。
え?意味がわからないですか? 大丈夫、わたしも意味がわかりません。

ただ、こういうパフォーマーでありながらとても礼儀正しくて、
もちろん色々ぶっ刺すんで当然流血するんですけど、ステージを汚さないように下にタオル敷いたり、
暗転後、片付けと次の演目の準備をしているスタッフのもとに駆け寄って何か話しかけていたり(たぶん「ごめんねー、あとは自分達でやるよー」的な感じだと思う。わかんないけど。何かそんな風にみえた) めっちゃ良い人たちか……!!って、思った。

他、印象深かったのは、やはりゴキブリコンビナートさんの演目でしょう 笑 (こちらは日本人の劇団集団)
ド直球の下ネタから始まり、最後は3人横一列で頬っぺた串刺し(これもガチでぶっ刺すやつ)になって終わりというカオスっぷり。

キケン・キタナイ・キツイの3Kをコンセプトに活動している劇団であると前情報で知っていましたが、実際に観てやっと理解しました。あれはまさに3Kです 笑

最後の串刺しは、会場皆がハラハラと息を飲むというより不思議と笑い(苦笑い寄り)と声援が起こった。なんとも不思議なパフォーマンスでした。
下ネタの内容についてはここでは言えません 笑
あまりにド直球すぎるので 笑



まだまだ感想言い足りないくらいなんですが、あんまり長くなってもあれなんでこの辺で。
何か思い出したことがあったら追記するかもしれません。

取り敢えず観ることができて良かったです。楽しかった。後半は若干睡魔との闘いでしたけど……! (23時〜早朝5時までの公演は流石にツラいものが……笑)
もしまた開催するのであればまた観に行きたいなーと思いました。

以上、サディスカの感想でした。

日記 おら東京さいくだ〜SMバー編〜

9/7(土)東京に遊びに行きました。
……このそこはかとない地方者感はさておき。

今回の一番の目的は、サディスティックサーカスというめちゃくちゃアンダーグラウンドなショーを観に行くこと。
まあでもそれだけ観てすぐ帰るのは惜しいので(主にお金が)色々予定ツメツメで 笑

午前中半日仕事があり、終わって準備をして新幹線で東京へ。着いたのはだいたい19時くらいかな。
サディスティックサーカスの公演は23時からでしたので、その前に何処かで軽く飲もうかなと。
まあこれは東京行く前から考えていたんですけれど。
こと旅行に関しては、自分はどうやらめちゃくちゃ計画たてるタイプの人間っぽい。これは最近知りました。

で、ですね
わたくし前々からSMバーというものにとても興味があってですね、これは良い機会なのではと思いまして、行ってみることにしたんですよ。

どこのSMバーに行ってみようか、これも色々なお店のHPとかTwitterとか事前にめちゃくちゃ調べました。

紆余曲折あり、サディスカ会場の割りと近い場所にそういったお店があることを知り、そちらにお邪魔することに。

閑話休題
今回のわたしの服装はロリィタ。何かアリスっぽいやつ。(詳しくいうとアリパイのクラシカルアリスワンピース)

もちろんロリィタはとても好きなんですが、なんかこうフェティッシュな場にロリィタで行くと、こいつ冷やかしなんじゃないかと思われていないか心配、というか引け目がありまして、大丈夫かなーという不安がありましたね。(不安に思うのってきっとそこじゃないというツッコミがほしいところ)

ですが、そんな心配とは裏腹にふつうに接してくれました。(まあ言うて客商売だしね)
なんか意外とアットホームで優しい空間でした。
ただし女性がひとりで淡々と自縛していたり、床に座ってる女性が当然のように男性に頭撫でられていたりすることを除けば。

それが当たり前の場なので、見慣れてくるとふつうのことのように感じてしまうのがなんとも不思議でした。なんかね、溶け込んでて全然違和感がないの。

で、流れで、興味あるなら縛りの体験できるかもよーってお話いただき、折角なのでお願いをいたしました。興味バリバリあったし。

アルコール入ってるとダメらしいとのことで、ここでお茶を2杯。

さて、縛りに関して結論から言うと、何が起きてるのかよくわからない、です 笑
縛られるだけじゃなくって、さかさに吊るされもしましたので 笑

なんとなく縛られているときよりも縄をほどかれている間のほうが陶酔できたかな、という気がします。単純に余裕が出てきたから、っていうことなんでしょうけれど。2回目体験したらまた感じかたが違うのかもしれない。

あと、こういうこと言うと、本当にそういう癖がある人からしたら嫌がられそうですが、
自分は"縛り"そのものが好きというよりは、こういうことになっちゃってる、されている自分が可愛らしい、それに陶酔している自分がまた可愛いという、何ともナルシシズムに寄った感じかたをするのだなぁということが今回はっきりわかりました。前からなんとなく、知ってたけど。

それから縛っていただいている人に対しても、好きとはまた違った感情を持ったのですが、これは何とも形容し難い。なぜか不思議な安心感がありましたね、あれはなんだったんでしょう。

以上、こちらのお店では貴重な体験をさせていただきました。こんな突然の新参者に、本当にありがとうございました。

そしてこの日はわたし以外にも初めての方は何人かいらしたんですが、お店の人に聞いたら意外と初めてでひとりで来る女の人は結構いるとのこと。(この日は初めて&お一人はわたしだけでしたが)

興味ある人は勇気を出して行ってみてはいかが…? 女性はすごーく安く飲めますし。冷やかしはダメだけど。


そしていよいよサディスカへ〜

日記(日記メモを振り返る日記)

おはこんばんちは、お久しぶりです。

特に楽しいのか楽しくないのか良くわからん日々を送っておりました、冬の子です。
でもそれって本当はきっととても贅沢でしあわせなことなんでしょうね。

前回からちょっと期間開いたのは特筆した何かがなかったから、、ってこれは言い訳なんですけれど…。
んー、今回は取り敢えず個人的にメモ程度に書いていた日記(?)があるのでそれを振り返ってみたいと思います。



2019/8/5
自分は比較的めんどくさいタイプの人に好かれることが多いと思っていたけれど、そうではなく、好きになる=独占欲が発現されることで誰でもめんどくさい人になるのかもね、ってそう思った。



はい、告白されたこともないのにうざいこと書いてましたね、すみません。
恋愛云々はわたしにはまだよくわかりません。



2019/8/6
仕事が一段落したら伊豆の断食道場行きたい。
しばらく滞在したい。
あと各地で出稼ぎしながら観光したい。


これは割りとそのまんまですね。
今の職場、臨時で採用していただいているので、そのうちまた(おそらく)フリーになるかと思われるんですが、そうしたならばしたいこと、ですね。
とにかく若いうちにベストな状態で色々な見聞をして経験したい。つまらない人間になりたくない。今のとこ自分はつまんない大人だなーってコンプレックス強いんで……。



2019/8/10
ねこが白血病だと知った日。
ねこの心配よりも母親がしんぱい。
でも実際ねこ(トト)いなくなったらわたしもどう思うだろう。


飼ってる猫が白血病にかかっていたと発覚した日です。父親に、年に一回の予防注射に連れて行ってもらったところ体重が急激に減ったとのことで、糖尿病の疑いで血液検査をしたところ発覚した次第。
体重減ってたのは歳のせいだと(現14歳)思っていたのですが、まさかでしたね…。

ただ、ね、メモにも書いた通り、わたしは病気にかかってしまった猫よりも母親を真っ先に心配しましたね。
……んー、や、もっと言うとこの比較的安定した状態?生活?が崩れるかもしれない、ということを心配したのでしょう。
わたしってひどい人間ですね。

でも、やっぱり小6から家にいる家族が居なくなったならば、さすがにわたしもやっぱり悲しいだろうなという最後一文です。



2019/8/11
彼氏(?)とはエッチしません、みたいなお話あるけど、なんとなくその気持ちがわからんでもない。いや彼氏おらんけど。


これはほんとうまく表現するのが難しい。
えっちが汚れた行為とは言わないけれど、もし好きだと言われたとして 、
んで、それを求められたならば、
そっか、結局そこなんだ…と、思ってしまいそう。いや、わかるよ、そうじゃないってことは、、だけど、うーん……。

だから、(かれぴいたことないし妄想ですが)わたしはそういう恋人関係でない人とは全然抵抗ないんですが、
ほんとうに好きな人とはなんだか色々と煮え切らない感じになりそうだなーと思う。

※これはこじらせるとこうなりますよ、という悪い例




なんかネガティブな養分多目になってしまったけれど、別にそういう月だったわけではなく、やっぱり日記書きたくなるのってそういう日が多いんだなーってことみたいです。
今月2回も花火見に行って楽しかったのにそういうことはメモってなかった…w
取り敢えずそれに気付けて良かったかもしれない。たとえ小さいことでももっと楽しかったこととかメモっとく習慣つけたいと思います。

以上、ご清聴ありがとうございました。

日記(毎日書くとは言っていない)

初めて川下りというものに挑戦してみた。いままではこういうウェイ的なものに偏見があったのだが、実際やってみるととても楽しいものだった。もっとも、わたしもペアになってくれた子も全くの初めてなものだから、最初はどう漕いだらどう進むのか、右も左も何もかも分からず散々なものだったが。

でも徐々にコツをつかんでうまく調整できるようになってくると、自然と一体になれたようで……、ん、違うな、
なんだ、初めてでも案外出来んじゃんw って楽しくなってくる。

あとですね、ただ楽しかったって思うだけじゃなく、自分ってちゃんとふつーにこういうこと楽しめるんだなって感じました。
前職の慰安旅行は毎回TDLだったんですけれど、楽しむことを強要されているところがあって、笑ってみているものの、ほんとうに楽しいのかどうかよくわからないところがあったんですね。だから、こういうこと自分はあんまり好きじゃないのだと思っていました。でも今日はそんなことがなく自然に笑えて、心から笑えて、ああ自分もこういうこと好きだと思えるのだなと。とは言え、他人と比べるとだいぶ変化に乏しいかと思いますが。そこはわたしもなるべく表現するよう努めるので、なんとなく察してくれるとうれしい。(誰に言っているのだろう…)

なんかさ、いっつも気づくのが遅くて勿体ないことしたなーと感じることが多いんですよね。
"後悔"ってそもそもそういうものだとは思いますけれど。いまになってやっと青春のイロハがわかってきたような気がします。
教訓、経験がないことであれば、あんまり偏見を持たず人生やっていきたいなと、そう強く思いました。

日記(って久しぶりに書いた気がする)

今日は仕事が終わってからお歌のレッスン。休符の意味について学んだ。今まで少しも考えてもみなかったことだ。毎回新しいことが知れて楽しい、と同時に今まで如何になんも考えずに歌っていたかが露呈されていく。
なんでここに休符があると思う?って聞かれて、え…?あ、なんでだろう…ってつまる。
そんなこと考えてもみなかったことだから。そうやって一個一個意味があって歌ってできているんですね。わかっていたようで、全然わかって(理解して)いなかった。ひとつづつ解釈しながら練習中です。

ちなみに今練習しているのはSwallowtail Butterfly〜あいのうた〜。感情の入れ方を教えてもらいたくて自分でこの曲リクエストしたんですけれども。映画も大好きですし。
でもなー、なかなかうまくなんなーい。っていうか、上達したかどうかがよくわからないー。…ってまあまだレッスンに通い始めて一月だしね。当たり前だ。

その後、映画を観に。なにげにひとりで映画を観るのは初めてだったんだな、と改めて。
なんかね、いにしえのおたくとしては観とかなきゃなんない気がしたからね。天気の子。
前情報として、というか誰かのツイッターのつぶやきだけど、えろげの3週目の世界のノーマルエンド、だとか言っているひとがいて。ああなるほどなって納得した。
それでいくと、晴れを願い、陽奈と共に空の上で人柱、というか概念になるのがトゥルーエンドなんだよね、きっと。(←これネタバレになっていたらごめんなさい)
あまり爽やかなエロゲはやったことないからあれだけど、皆が言いたいことはなんとなくわかりました。

それにしてもボーイミーツガール物っていくつあっても廃れないすごいテーマですよね。結局は人類の営みってそこにしかないわけだから、当然といえば当然なのですが…。
わたしが今まで見た中でいちばん好きなボーイミーツガール物ってなんだろう。フツーに、打上花火とか時かけとかだろうか…。

閑話休題
いつかバンド演奏で歌ってみたいなー、と思っていた最中、先日募集サイトにてメン募している人とマッチングしたため、初顔合わせに。取り敢えずどういう方向でやっていくか何となくお話。オリジナルでやってくっぽいので、んじゃあ歌詞も書いてみよう、って。
こういうこと全くの初めてなので、今後どうなっていくのかわからないけれど、何か今までモノクロだった世界にやっと色が付き始めてきたようで近頃楽しい。そんなことを思う今日でした。

PS.バンドはまだ今日お会いした方とわたししかメンバーいないので絶賛募集中です(笑
何となくの方向性しか決まってないけども(笑

お人形になりたい、という話

正確にいうと、動くお人形になりたい。とはいっても、髪の毛が勝手に伸びるこわい人形のことではない。まあそれはそれでいいなーと思うけれど。
ドールモデルの橋本ルルみたいな、そんな感じが理想です。まあ彼女も結局はヒトなんですけれどね。

どういうところに憧れを持っているのかちょっと考えてみる。
まず一番に挙げられるのはやはり歳をとらない、永遠の美しさを持っている点であろう。いや、歳をとることで得られるうつくしさとか、そういうものもあるとは思うけれど、、。でもね、やっぱり本音を言えば歳はとりたくないわけで。いつまでも綺麗な(カワイイ)ままであることが保証されているのは大きいです。

で、このカワイイ状態が維持されていることが誰のメリットになるかというと、たぶん周りの人間、だ。お人形だから持ち主とか。
人形がもし動けたとしてもひとりで生きて(?)いくことはきっとできないから、どうしたって人間に依存しなければいけないわけで。このとき、持ち主である人間のほうもカワイイお人形を所持していたいわけですからwin-winの関係が生じる。すると人形わたしの承認欲求は満たされまくる、という循環になる。

別に人間のままであっても承認欲求を満たす方法はあると思うのですが、人形はそうなること、そういう関係が最初から当然のものになっているので、ちょっと乱暴な言い方をすると、誰に僻まれることなくその状況にただ身をおいているだけでいいわけです。カワイイわたしをみて、って。人形はとにかくずっとこれでいいんですよ。すごくないですか。

まあドールって沼なので、沼なので…(大事なことなので2回…)2体3体と増えてきたらまた違うでしょうけれど、それは今は考えないことにします。ご都合主義なので。嘘だけど、っていうか適当に言いました。ごめんなさい。

閑話休題
動くお人形にまつわるお話で、好きな漫画があるんですよ。プランツドール、という漫画なんですが。1話完結で1話ごとに毎回異なるお人形が主軸となるのですが、まあとにかくカワイイし、みんなとにかく愛されている。
主食はミルクと砂糖菓子のみ。この時点で、あぁかわいいなーって思う。お酒好きのわたしにはキツイかもしれないですが 笑
でもそれを差し置いてもずっと可愛くあれること、それが認められていて望まれていることはいいなーと思うのです。


んーと、特にオチはないのですが…、
依存関係で散々な思いをしたことはあれど、結果ヒトに視られていたい、認められたい、という気持ちは普遍的なのかもしれませんね。
せめて自分がこうでありたい、という目標(?)は忘れずにいたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。